parl 第二次大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で被告人全員の無罪を主張したことで知られるインド代表判事、ラダ・ビノード・パール博士を顕彰する記念式典が21日、京都市東山区の京都霊山護国神社で開かれ、在大阪・神戸インド総領事館のバル・クリシャン・アナンド副領事らが顕彰碑に献花を行った。

 パール判事は連合国側が派遣した判事の一人で、「平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法である」として、東京裁判そのものを批判した。
 同神社には平成9年、インド独立50周年を記念してパール判事の顕彰碑が建立されている。

 この日は、主催の近畿偕行会のメンバーら約50人が参加。神事のあと、一人一人が献花を行った。
 アナンド副領事は「日本の方々がパール判事に敬愛の念を抱いてくれているのと同様に、パール判事も日本のことを愛していた。今後も日印のパートナーシップがさらに深まっていくことを祝します」とあいさつした。
産経新聞



【パール判事の言葉】
「勝者によって今日与えられた犯罪の定義《※①チャーター=”裁判所条例”》に従って裁判を行うことは、戦敗者を即時殺戮した者と、われわれの時代との間に横たわるところの数世紀の文明を抹殺するものである」

「復讐の欲望を満たすために、たんに法律的な手続きを踏んだにすぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感を得るだけのものであって、究極的には後悔を伴うことは必然である」
――以上、『パール判事の日本無罪論』より


※①チャーター=”裁判所条例”――東京裁判では、法律のないところに無理に「裁判所条例(チャーター)」という法律を作り、法の不遡及の減速までも無視して裁いた


◆東京裁判を演出し指揮したマッカーサーは、裁判が終わって一年半後、ウェーク島でトルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白。
 さらに三年後、アメリカ上院軍事外交委員会の席上で、「日本があの戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」と明言した。

◆トルーマン大統領(1945.4.12~1953.9.20)
 ロックフェラー支配下のジョージ・E・アレン(航空会社大株主)、エドウィン・ポーレー(スタンダード石油の利権を持つ石油王)、クラーク・クリフォード(モルガン系ゼネラルエレクトリック及びロックフェラーのスタンダード石油の重役、ペンシルバニア鉄道の顧問弁護士)の力によって副大統領から大統領に昇格。 
 


●一部下記の本から引用、かつ参考にしています。