コペンハーゲンで行方を断った有本恵子さんは、最終的にモスクワ経由で北朝鮮に誘導され行方を絶ったとみられている。

●八尾恵(1955年生まれ。よど号グループの柴田泰弘の元妻、兵庫県出身)

 1983年「市場調査のいいアルバイトがあるから、ウイーンに行こう」と騙して有本さん(当時23歳)を誘い、モスクワで魚本公博(旧姓安部)に引き渡すという拉致工作をした実行犯の一人。


69253 魚本公博らに引き渡された有本さんはそのまま北朝鮮に連れ去られた。(右の写真:有本恵子さん)

 警察は、有本さん拉致の実行犯である「よど号」犯人の魚本公博(旧姓・安部公博)について、逮捕状の発付を得て国際手配を行うとともに、外務省を通じて、北朝鮮に対し、身柄の引渡しを要求しています。


 有本さんが拉致される三年前の1980年には、田宮の妻・森順子(よりこ)がスペインでターゲットを物色、石岡亨さん(当時23歳)に接近している。

※1980年代は日本国内よりむしろ国外での拉致が増え、1990年代半ばまで活発な工作活動が続いた。

下はよど号ハイジャック犯の田宮高麿と妻の森順子。



 1980年4月、バルセロナの動物園で若林盛亮(もりあき)の妻黒田佐喜子と共に石岡さんに接近した森は、その足で、マドリードに石岡さんを誘っている。

 翌1981年5月には、同じく狙いをつけた松木薫さん(当時27歳)を加え、頻繁に食事をしては「ウィーンの叔母の家に婚約者が来ているので、一緒に来ないか」としきりにウィーンへの同行を勧める。

 森順子の誘いに乗ってしまった石岡さんと松木さんはその後、行方不明に。

 ※コペンハーゲンのホテルの宿泊名簿に森順子の名前があったことから、森も有本恵子さんの拉致事件にも関わっていたことが分かっている。

●1981年の石岡さんと松木さん失踪事件、1983年の有本さん拉致事件など、森順子は欧州での日本人拉致事件の窓口的役割を果たしていた。
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●1988年――有本さんと石岡さんが一緒に暮しているという突然の手紙が、ポーランド経由で互いの両親の元に届く。
→北朝鮮側の指示により、拉致事件の疑惑を払拭させる目的の工作。

 その後も田宮夫妻らによる工作の連携プレーは続いたが、1995年の田宮高麿の死によって幕を閉じる。

●赤木志郎や魚本(安部)公博など、他のよど号メンバーたちは、一連の日本人拉致事件への関与を否定している。

●八尾恵は法廷で告白証言をして本も出版しているが、言い訳と保身に終始し、拉致の目的も「革命の継続のため、革命の士(日本人男性)の妻となる女性を探すため」という身勝手で許しがたい内容だった。

●有本さんが拉致されるまで宿泊していたコペンハーゲンのホテルは、拉致工作グループの活動拠点とみられ、同時期に宿泊していた福井タカ子と水谷脇子は、それぞれよど号メンバーの小西隆裕、田中義三の妻となっている。

 ※田中義三は、1996年3月に偽米ドル札使用の容疑者としてカンボジアで逮捕、服役中に無罪となり、日本に帰国して再逮捕されている。


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内容紹介:
北朝鮮拉致被害者の全員救出を願って。あきらめない。必ず迎えにいくよ。
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山口采希
フィズミュージック
2014-09-24