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産経新聞社が昭和28年12月に撮影した竹島。

※当時の紙面には「手前西島、後は東島=(本社双発ビーチクラフト機にて、高橋、疋田写真部員撮影=藤本航空部長、寺坂航空士操縦)」とある

 韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)をめぐり、同町が島内に建設を進めてきた調査研究施設が、近くオープンする。
 その施設に、ある写真が重要な資料として展示されることになった。それは、産経新聞社が昭和28年12月に竹島を上空から撮影し、翌29年元日付朝刊にスクープとして記事とともに掲載したものだ。

 現在、竹島には韓国が多くの施設を建設しているが、この写真にはそうした構造物が全く写っていない。つまり、韓国による「国家主権侵害」が本格化する以前、かつて隠岐の漁民が目にした竹島の「原風景」が写っており、「戦後、守備隊が日本の侵略から島を守った」とする韓国のウソを暴く資料としても注目されそうだ。

 ◇不当な李ラインに憤り、空から竹島取材

 写真が撮影された28年当時はどんな時期だったのか。日本が第2次大戦に敗れたあと占領下でサンフランシスコ平和条約に調印したのが26年9月。
 翌27年1月、韓国が日本海の公海上に「李承晩ライン」を一方的に引き、竹島を自国内に取り込んだ。

 日本は同年4月に主権を回復し、平和条約の発効で竹島が自国領と確定したが、韓国は竹島に近づく日本の巡視船を銃撃した。そんな頃だった。

 写真は29年1月1日の本紙紙面(10面)を飾った。「波高き李ラインを飛ぶ」との主見出し。
 記事は「巡視船への銃撃、漁船の拿捕、船員の抑留…暗い話題を生んだ李ライン水域には、水産日本の深刻な課題が横たわっている、外交交渉による解決への期待をかけられた日韓会談もその後再開をみぬまま、“暗い現実”を今年に持越して了った」という書き出しで始まる。

 ◇韓国軍にバリバリッと撃たれるかも!?

 記者の機上リポートである記事はこう続く。

「いままざまざと日本の非力を感じ機上で歯ぎしりをした、そのとき“竹島が見える”と操縦席から声が飛んだ」

「『あった』ひと握りほどの海岸の砂浜は巡視艇“へくら”が去る十月四度目に立てた『島根県穏地郡五箇村竹島』の標柱が、日本領土の標柱だ、三度韓国側に引抜かれたが四度目の標柱はいま岩影に厳然と立っている、しかしこれもいつ引抜かれるかわからない」

 さらに、その後発行された「週刊サンケイ」30年7月3日号では、「空翔けるニュース合戦・近代報道戦の舞台裏」とのタイトルで、記者の座談会を掲載。
 その中で、竹島取材を「他社を引き離したスクープだつた」とした上で、「竹島飛行は一応航空機を持つた新聞社は狙っていたんだ、しかしアメリカ軍が許可しないだろうと推測したのと、また許可されてもバリバリッと撃たれやしないかとためらつていたんだ。韓国軍にね…」と振り返っていた。

 ◇かつて久見の人たちが見ていた風景

 この写真と報道について、竹島に関する調査研究や資料収集などを手がける隠岐の島町竹島対策室の忌部正英主幹は「まだ韓国の施設が建設されていない頃の、竹島の航空写真は隠岐に残っていない。かつて竹島周辺で漁業に携わっていた久見地区の人たちが、当時見ていたであろう島の風景だ」と評価する。

 同町は、竹島問題をテーマにした調査研究施設を久見地区に建設。条例上の名称は「竹島資料収集施設」だが、愛称は「久見竹島歴史館」といい、近くオープンする。

 施設は木造平屋建て165平方メートル。調査研修室や一時保管室、ロビーなどを備える。忌部さんは「この写真を主要な資料として展示したい」と話し、A2サイズのパネルに仕立ててロビーに掲げる考えだ。

韓国の偽の神話を暴く証拠に

 「この写真は、『独島義勇守備隊が日本の侵略から独島(竹島)を守った』とする韓国の“神話”を覆す証拠の一つになる」。島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二氏はこう指摘する。

 独島義勇守備隊は、傷痍(しょうい)軍人ら33人の民間人で構成され、1953(昭和28)年4月に上陸して常駐。56年12月に警察に引き継いで解散するまで、日本の巡視船の接近を阻止するなど独島守護のため活動した-。韓国では広く伝わる、このような“神話”がある。

 だが、「この写真を見る限り、島は無人で、だれかが常駐しているという形跡もない。昭和52年に日本のマスコミの飛行機が竹島上空を飛んで取材した際は韓国政府は抗議したが、この写真の時は抗議などなかった」と藤井氏。

 韓国には、日本からの独立戦争に勝って建国したわけではないというもどかしさ、悔しさがある。その埋め合わせとなるものの一つが、「独島義勇守備隊が日本の侵略を打ち破って独島を守った」という〝神話〟。しかし、「それが偽りであることを、この写真が示している」と指摘する。

 ◇昭和27年、日本は本当に独立したのか

 実際、昭和28年段階では日本側も、島根県と海上保安庁が共同で竹島に上陸し、不法入国していた韓国人を事情聴取したり、本紙記事でも触れていたように「島根県穏地郡五箇村竹島」の標柱を立てたりしており、韓国側の支配は確固としたものではなかったようだ。

 また同年6月には、時化で母船が来ず食料がなくなり困っていた韓国人の不法入国者らに対して、隠岐高校の水産練習船の乗員が米を与えていた記録もある。

 それにもかかわらず、韓国国会は政府に対し、独島に日本官憲が不法侵入した事実について日本に厳重抗議するよう求める建議文を採択。同年7月には、韓国官憲が日本の巡視船に竹島から発砲した。

 一方の日本は、竹島に不法入国した韓国人に対し、退去勧告にとどめるなど実力での排除を避ける姿勢を続けた。

 藤井氏は「当時、やりようによっては、日本が竹島の実効支配を維持できていたかもしれない。竹島問題は、米国の庇護のもとで対外摩擦を避けてきた戦後日本の象徴だ」と問題提起する。

 サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年、日本は本当に独立したのか-と。この写真は、そんな疑問をも投げかけている。
産経WEST 2016.5.13

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