【尼港事件】ロシアのニコラエフスク(尼港)で、石田領事夫妻と二名の子供、民間人約三百数十名、軍人約三百数十名が共産パルチザンによって虐殺された事件。(1920年3月~5月)

尼港事件
中央の白衣の人物が虐殺首謀者の「ヤーコフ・イヴァノーヴィチ・トリャピーツィン」
(撮影:1920年4月頃)


【水間条項――国益最前線ジャーナリスト水間政憲のブログです。】より転載させていただきます。

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2019年04月30日

■昨年の5月24日、安倍首相がプーチン大統領と会議のためモスクワへ旅立ちました。

その日は、私の故郷小樽市手宮公園内の「尼港事件殉難者慰霊塔」で毎年追悼法要が行われていたことを承知していましたので、安倍首相もなかなか外交に長けていると感心したのですが、それが単なる偶然だったことは、その後のロシアとの外交姿勢を見ていて明らかになりました。

尼港事件とは、1920(大正9)年3月~5月にロシア極東のアムール川河口の尼港(ニコラエフスク)に於いて、日本人731名が共産パルチザン(ロシア人・中国人・朝鮮人)に惨殺され、日本中を震撼させた一方的な大虐殺事件だったのであり、いまだ公式にロシアは謝罪していない世界史に刻まれている歴史的な大事件だったのです。

そこで、小樽仏教会に近況が気になって昨年5月24日に問合せたところ、驚愕の事実が明らかになりました。

私の故郷でもある小樽の市民と小樽仏教会の名誉に配慮し、小樽の「不名誉」を回避するため、いろいろな人脈を使い、「尼港事件殉難者慰霊塔」に設置されていた「納骨堂」から731柱の「遺骨」を、無縁仏として小樽市が管理している万霊塔に放り込んだ「国家的犯罪」を回避するため、「遺骨」を元に戻すことを水面下で行ってきたのです。

小樽市は、なんら法的根拠もなく永年法要を行ってきた小樽仏教会の猛反対を「公園管理」に関する法律によるなどと嘘をついて、平成元年に小樽市が管理していてる万霊塔(無縁仏)に一つづつ木箱を壊して、入っていた「遺骨」放り込んでいたのです。

いままたこの事について綴っていると、怒りで手が震えます。
小樽市が行ったことに法的根拠が無いことは、国交省の担当部局で確認済みです。

尼港殉難者追悼碑
小樽市手宮2(手宮公園)


公園内に遺骨(墓)があったらいけないのであれば、当然、上野公園内にある彰義隊の墓を撤去しなくてはおかしな事になりますし、日光の国立公園内に徳川家康の墓があるではないか。

日教組発祥の恥ずべき小樽の役所の考えていることは、畏れることもなく「日本人の道」から外れたことを平気で実施したのです。

惨殺されたのは、
の遺骨が、親族の了解無しに無理やり無縁仏にされたのです。 

実際、小樽市から業務を請け負った葬儀社の担当した方は「個別に入っていた木箱を壊して入れた」と証言しており、決して「無縁仏」ではなく、軍人のほとんどは水戸歩兵第2連隊第3大隊の兵士約三百名と海軍兵士四十数名と民間人約三百数名の計731名の「遺骨」を小樽仏教会が一括管理していたのです。

決して無縁仏ではない「遺骨」が何故、小樽市にある納骨堂に安置されていたのか、疑問に思われるでしょうが、それは一部個人名が解らない遺骨があったことから、当時、日本海の中心的な港湾都市だった小樽の市民が一丸となって一括して慰霊し永遠に御守りすることを政府に申し入れ、承認されたことで、小樽に1924年に尼港から遺骨が運ばれたのです。

慰霊塔ならびに納骨堂は、海運業で財をなした藤山要吉が私財を投じて1937(昭和12)年に建立したもので全国的に見ても立派な慰霊場になっていたのです。

納骨堂が完成するまでの間は、小樽の浄應寺に保管されていたこともあり、今年が追悼法要100回忌を迎えるあたって島隆浄應寺住職が、昨年8月に小樽仏教会会長に就任しておりました。

昨年、島隆住職からお聞きしましたが、
2年前に兵士と市民の名簿と貴重な写真等資料が見つかったと仰ってました。
写真には兵士が戦友の白い布に包まれた「遺骨」を首から提げ、隊列を組んで浄應寺に向かって歩いているものも含まれているとのことです。

私は昨年、入院生活を余儀なくされ中断していましたが、退院後また小樽市民と小樽仏教会の「名誉ある行動」に泥を塗るわけにもいかず、小樽市の「国家的犯罪」を回避するために昨年6月から小樽市住民戸籍課の庄司課長に、葬儀社の意見――遺骨移設業務を請け負った葬儀社の担当者は「大正時代の荼毘に伏された遺骨と 最近のガスバーナーで焼かれた遺骨は色を視れば直ぐ解る」と仰っていた――も伝え、「100%は無理でも半分以上を元に戻すことはできる」ことを繰り返し要請していたにも拘らず一顧だに値しないと判断して(放置して)いたことが2019年4月26日にわかり、「怒髪天を衝く」とはこのことかと、怒りが爆発しました。

小樽市の行ったことは、「国家的犯罪」ですので、水戸や天草の関係者(親族)から、当然「遺骨」の返還請求が巻き起こっても不思議ではないことなのです。

最新のDNA鑑定であれば、すべての「遺骨」の個人名を特定することも可能なのであり、これは日本政府が予算をつけて「国家事業」として直ぐ実施するべきなのです。

それは、国家が誤って小樽市の要請に応じたことから惹起した問題であり、平成元年に勃発した「国家的犯罪」を平成最後の日に告発することになり、「尼港事件殉難者の御霊」が、私を突き動かしていると思っております。

そして国交大臣は、平成の約半分の年月を「仏教団体」が後ろ楯にしていることでもあり、速やかに実現していただけれることと思っております。

日本人は怒りを露にするべきときは、毅然と行動するべきときが明日から新たになる元号「令和」に生きる日本人の道なのです。

※このような事情により、皆様方と予定していた「尼港事件殉難者慰霊の小樽への旅」は、実施することができなくなりましたことを報告させていただきます。


パンフレット「女性宮家は必要ありません」
(URL、PDFファイル、印刷など色々とばら撒いてください。)



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【重要】「尼港事件殉難者慰霊の小樽への旅」は残念ながら中止となりました。


尼港事件