船戸優里
船戸優里被告(27)

 ◇太ったことに夫激怒、食事を制限 「どんどん弱って…」最期は添い寝も

 《東京都目黒区(東が丘一丁目14-3サンハイム好2階)で昨年3月、船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時(5)=が両親から虐待を受けて死亡したとされる事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の船戸優里被告(27)の裁判員裁判の初公判は、弁護側の冒頭陳述が続いている》

 《静まりかえる廷内に、優里被告の泣き声が聞こえている》

 弁護人「優里はおなかを蹴る暴行を目撃し、強い衝撃を受けました。しかし、止めに入ると怒られ、心理的支配はさらに強固になりました」

 《雄大被告に心理的に支配されていったという優里被告。そんな中、平成28年12月に結愛ちゃんが児童相談所に一時保護された》

 弁護人「『良かった』と思うと同時に、『自分も保護されたい』と思いました。しかし、優里が保護されることはありませんでした」

 《29年3月、結愛ちゃんは再度児相に保護される》

 弁護人「雄大は『結愛は児相にかわいそうな子と思われたい。自分を逮捕させたいから嘘を言っている』と言い、口裏合わせを強要してきました。児相からは雄大の説得を求められ、児相と雄大の板挟みとなりました。優里の苦悩を児相は理解してくれないと、児相に対する信頼感がどんどん薄れていきました」

 《同年7月、結愛ちゃんが自宅に戻ったが、雄大被告と児相との間の板挟みの状態は続いていた》

 弁護人「『太った女は醜い』と罵(ののし)られ、雄大の前で食事を食べられなくなりました。隠れて過食をして下剤を飲み嘔吐(おうと)するといういわゆる摂食障害の状態になりました」

 《大きなストレスを抱えていたとみられる優里被告。結愛ちゃんが同年8月から医療機関に通うようになり、そこで優里被告はSOSを出したという》

 弁護人「担当医は精神的に支配されていることに気づき、児相に通告しました。しかし、優里の保護には至りませんでした」

 《平成30年1月には児相の指導が打ち切りに。医療機関にも通えず、優里被告への支援の手はなくなってしまった。さらに一家の東京行きが決まった》

 弁護人「上京直前は暴行はなく、説教も少なくなりました。雄大が先に上京し、のびのび過ごすことができました。優里は東京に期待していました。友人がたくさんいて、仕事もほぼ決まっていると聞いていました。雄大が機嫌良く過ごしてくれるのではと思っていました」

 《しかし、現実は違った。雄大被告は仕事も決まらず、ずっと自宅にいた》

船戸結愛

 弁護人「2、3日は優しかったけれど結愛が太ったことに気づき、激しく怒られました」

 《結愛ちゃんへの食事制限が始まり、孤立を深めていく優里被告。そんな中、同年2月2日頃に雄大被告が結愛ちゃんをトイレで暴行したとみられ、目の辺りにあざができていたという》

 弁護人「雄大は『ボクサーみたい』と笑い、ばかにされたと感じました。『たたくのは絶対やめて』と泣きながら懇願しました。雄大は『もうたたかない』と言いました。優里は『離婚してほしい。結愛は私が見る。息子は置いていくから』と言いました。雄大は息子に『お前捨てられるんだ』と言い、離婚は否定されました。息子を捨てるひどい母親といわれ、絶望的な気持ちになりました」

 《その後、優里被告は結愛ちゃんと引き離された。結愛ちゃんは部屋に閉じ込められ、日課を強制されるようになったという》

 弁護人「止めようとすると結愛への仕打ちがエスカレートしました。それでも雄大に隠れ、結愛にこっそり菓子を食べさせたり、結愛の書く文章を一緒に考えたりしました。被害が少なくなるよう努力しましたが、雄大に逆らうことはできませんでした。それほど心理的に支配されていました」


 《優里被告は雄大被告の機嫌を損ねることを恐れ、品川児相の家庭訪問も拒否したという》

 弁護人「結愛が小学校に上がるまでの辛抱だと思っていました」

 《しかし、小学校の説明会にはあざが残り、結愛ちゃんは行けなかったという。弁護人は、その日を境に虐待がエスカレートした可能性があると指摘した上で、こう続けた》

 弁護人「優里は2月下旬の暴行を見ていません。雄大に同調したわけではありません。制止することができないほど精神的に追い込まれていました」

 《結愛ちゃんが死亡したのは同年3月2日。弁護人は同年2月下旬から、死亡までの経緯を説明していく》

 弁護人「雄大が『結愛が食べたくないと言っている。ダイエットになってよいじゃない』と笑いながら言いました。(その数日後)雄大が『食べ物を吐いた』と言いました。優里が『病院に連れて行かなくて大丈夫?』と言うと、雄大は『あざが消えたら連れて行く』と言いました。優里は勝手に病院に連れて行けませんでした。3月1日には優里は結愛を久しぶりに風呂に入れました。びっくりするくらいやせていて、見てはいけないものを見た感覚で、すぐにタオルを体に巻きました。同2日、結愛はどんどん弱っていました。優里は結愛にずっと添い寝して、楽しかった思い出話をたくさんして励ましましたが、結愛は亡くなってしまいました」

 《一連の経緯の説明を終えると、弁護人は次のように主張した》

 弁護人「結愛の死は重く受け止めます。優里がDVを受けていたことを忘れてはなりません。このことを念頭に置いてこれからの審理をしていただきたいと思います」

 《優里被告は途中、泣き止んだようだったが、表情はうつろで口を開き、呼吸は苦しげだった》


 《休廷となると、優里被告は再び涙がこみ上げ、黒いハンカチで目頭を押さえた。退廷しようと立ち上がったものの、よろめき、女性刑務官に支えられながら退廷した》
産経新聞