日本を挑発し続ける中国「狼の乳」世代(王毅)は被害者史観で戦う
王毅

<尖閣は中国の領土・日本の偽装漁船が敏感な海域に侵入――主客転倒の挑発を続ける中国共産党的思想の根源>

「戦う狼」こと「戦狼」外交官のトップ、中国の王毅(ワン・イー)外相。11月24日に来日した彼が発した尖閣諸島をめぐる挑発的な言動は、日本に深刻なインパクトを与えた。

 その際に国内外のメディアが使った「戦狼」だが、多くの日本国民と世界の良識ある人々は、その精神の由来について不思議に思っているに違いない。

狼の乳世代 王毅

 戦狼とは中国特有の「狼の乳」、つまり極端な中国中心の民族主義的思想、それも階級闘争論に依拠した暴力革命肯定論と、被害者史観に基づく教育を受けて育ったゆがんだ民族主義者を指す。

 最も早く「狼の乳」の表現で現代中国のゆがんだ歴史観を批判したのは、中山大学(広東省)の袁偉時(ユアン・ウエイシー)教授である。21世紀に入ってからも変わらない中国の歴史教育の実態を危惧した袁は、国定教科書の編纂体制と御用知識人を批判した際に、この概念を打ち出した。

 袁の主張と論点は以下のとおりだ。アヘン戦争以降の西洋列強による清国侵略も決して外国だけが悪かったわけではない。清朝臣民による挑発と、役人の無能ぶりについても分析しなければならない。西洋列強だけが「不平等条約」で搾取し、「文明国」中国を停滞させたのではない、との観点である。

 こうした見解は、世界の歴史学界の認識と一致するが、中国では決して許される思想ではない。近代に入って西洋が中国を搾取し続けたので、有史以来ずっと先進国だった地位が失われたとする中国の公的史観と対立しているからである。

王毅 菅義偉

 加えて日中戦争だ。全国の人民をリードして「抗日」戦争を勝ち取ったのは「偉大な中国共産党」であり、蒋介石率いる国民政府軍は奥地の四川省に逃げ込んだ無能な集団だったというのが、中国政府の歴史観である。

 日本軍と死活の戦いを繰り返していたのは国民政府軍で、共産党系のゲリラ部隊も当時は国民政府軍の一部として編成されていた史実は無視されている。

 以上のような歴史観を総括すると、中国は長らく世界の先進国であり続けたが、西洋列強と日本によってその進歩と発展が阻害された。被害者の中国はこれから大国になるにつれて復讐に打って出て、再び世界各国を臣従させ、中国中心の朝貢体制を構築しなければならない。これが、「狼の乳」を飲んだ世代の思想である。

 そして、典型的な「狼の乳」世代の代表格が王である。彼は文化大革命最中の1969年に16歳で黒竜江省の農村部に下放され、生産建設兵団という屯田兵団の一員となった。文革が勃発した時は14歳で、78年に大学に入るまでまともな教育を受けていなかった。彼の世代は「工農兵大学生」と称され、学力よりも共産党への忠誠が優先された者だけが進学できた時代である。

 王だけでなく、陝西省北部の黄土高原に下放されていた習近平(シー・チンピン)国家主席も例外ではない。王も習もその下放先で農村部の極貧生活を体験したし、大人になってからは自国と世界との大差についても認識したことだろう。

 問題は、自国と世界との巨大な差異と発展程度の違いを、冷静に客観的に分析するのではなく、落ちこぼれた責任は中国以外にある、との被害者史観で武装したことである。

黄土高原
黄土高原 wikipedia

 中国の停滞を知れば知るほど、「搾取」し、「侵略」した外国に対する憎しみが一層増して「狼の乳」の濃度も上がる。だから彼らは戦い続ける。「尖閣は中国の領土で、日本の偽装漁船が敏感な海域に入ってきている」と主客転倒の挑発も、「戦狼」思想の発露にすぎない。

<2020年12月22日号掲載>
Newsweekjapan 2020年12月19日

■楊海英
(Yang Hai-ying)静岡大学教授。モンゴル名オーノス・チョクト(日本名は大野旭)。南モンゴル(中国内モンゴル自治州)出身。編著に『フロンティアと国際社会の中国文化大革命』など