中学校の教科書が新年度から新しくなる。学習指導要領が改訂されたのだから、違う出版社の教科書に変わればもちろんのこと、同じ出版社の教科書であっても教える内容は変わる。4月を前に、先生たちは早めに準備に取り掛からなければならない。

 ところが、社会科の公民について、いまだにどこの出版社の教科書をどう調達するか、決まっていない自治体がある。沖縄県竹富町である。

 竹富町を含む八重山地区(ほかに石垣市、与那国町で構成)で昨年の夏、公民の教科書採択にあたって問題が起きたことを、ご存じの方は多いかもしれない。その後、本土ではマスコミ報道がほとんどないが、依然として解決には至っていないのだ。

 ことの発端は昨年8月23日、同地区の教科書採択地区協議会が育鵬社版の公民教科書を採択するよう答申したことだった。これを受けて、石垣市と与那国町の教育委員会は育鵬社版の採択を決めたが、竹富町教委は採択を拒み、東京書籍版を選んだ。沖縄県教委の仲介で、9月8日に3市町の13人の教育委員全員が集まって協議し、多数決によって東京書籍版の採択を決める。ところが、今度は石垣市と与那国町の教育長が「無効」を主張する通知を文部科学省に送った。以来、決着しないままになっている。

 育鵬社版の教科書は「新しい歴史教科書をつくる会」から分裂した「日本教育再生機構」のメンバーらが執筆している。各地で教科書の採択が行われていた昨夏、本コラムでも取り上げたが、この教科書、憲法をないがしろにするような記述が目立つ。

 平和主義では、見開き2ページのうち3分の2ほどが自衛隊に割かれている。主権在民の項目名は「国民主権と天皇」で、見開き2ページのうち3分の2で天皇を扱い、4枚の写真のうち3枚を天皇が占めている。基本的人権の尊重でも、「公共の福祉による制限」と「国民の義務」に比重を置く、といった具合である。

 護憲派が中心になって「特異でゆがんだ一方的な解釈を刷り込む内容」と批判してきた。第2次世界大戦で地上戦を体験し、平和憲法への思いが強い沖縄県内では、なおさら受け入れがたい気持ちが強い。竹富町教委でも「憲法9条の役割がほとんど記述されていない」ことなどが不採択の理由とされたそうだ。

 なのに、なぜ育鵬社版が八重山地区の教科書採択協議会で選ばれたのだろう。

 3市町の中で一番大きい石垣市(人口約5万人)では、2010年2月の市長選挙で5選をめざした革新系の現職が敗れ、保守系の40代市長が誕生した。教科書採択協議会の会長を務める市の教育長も交代して、新会長の主導で教科書採択の方法を変更していた。前回までは、協議会が任命した調査員による事前調査の結果を尊重し、調査員が付けた順位に従って採択する教科書を答申していたが、今回から調査員による順位付けをやめたうえ、調査員が推薦した教科書でなくても協議会で採択できるようにしたのだ。

 実際、公民の事前調査を担当した3人の調査員(教師)による報告書は、7社の教科書のうち東京書籍版と帝国書院版を推薦していた。育鵬社版に対しては14カ所の問題点を指摘しており、前回までなら選ばれるはずはないのだが、新しい決め方で浮上した。

 八重山地区を取り巻く「政治情勢」も無関係ではないだろう。八重山と言えば沖縄県でも最西端・最南端の地区で、中国や台湾に接する国境地帯である。尖閣諸島の行政管轄権は石垣市にあり、石垣市の新市長は中国漁船衝突事件の後、政府へ上陸許可を要請した。与那国島には、陸上自衛隊・沿岸監視部隊(約100人)の配備が計画され、新年度の政府予算案に用地取得費(10億円)が計上されている。

 つまり、この地区で育鵬社版の教科書が採択されれば、一自治体の選択にとどまらない、かなり象徴的な意味がある。保守の側からすると「中国と接する最前線に暮らす人たちには国防への不安や危機感が強いので、私たちの立場の教科書を選んだ」という理屈づけができるからだ。実際、保守系の政党や団体からさまざまな後押しがあったとも言われる。育鵬社版を採択する道筋は、周到に準備されていたのかもしれない。

 竹富町をめぐるその後の動きに戻る。

 文部科学省は10月26日、教科書採択地区協議会の答申を受けて育鵬社版を採択した石垣市と与那国町には国費で教科書を供与する一方で、東京書籍版を採択した竹富町には供与しないが、町の財源で東京書籍版を購入することは認める、との見解を示した。

 教科書無償措置法は教科書の広域採択を定めており、複数の自治体でつくる地区協議会で選ぶことになっている。半面、地方教育行政法は採択権限が市町村教委にあると定めている。石垣市・与那国町と竹富町のどちらの主張にも法的な正当性はあるのに、文科省ははっきりした根拠に基づかないまま、教科書無償措置法の規定が優位だと解釈してしまった。

 これに対して、竹富町は「法に則ってやっていることだから、国費で提供されるのが筋で、町費は出さない」との主張を変えていない。今年1月の町教育委員会では、教育委員が私費を出し合って東京書籍版を購入し、町に寄付する案も出たそうだが、やはり「間違ったことをしているわけではないのに、そこまでする必要があるのか」との考えから保留状態になっている。

 2つの法律の矛盾を放置してきた文科省の責任は重い。今後の教科書採択にあたっては、複数の自治体による広域採択方式だけではなく、市町村単位での採択を認めていく方針と伝えられる(読売新聞・昨年12月5日付朝刊)。それはそれで進めるとしても、今回のケースでは竹富町についても国費で東京書籍版を提供するべきだ。少なくとも、竹富町の主張に法的な根拠はあるのだから、教育を受ける権利と義務教育の無償を定めた憲法26条を踏まえて判断することが求められている。保守陣営からの圧力があるのかもしれないが、屈せずに対応してほしい。

 もう一つ。八重山地区の問題にとどまらず、新年度からの教科書の採択をめぐる一連の流れから考えるべきことは多い。

 育鵬社版の教科書は4月から、公民と歴史を合わせて全国約400の公立中学校で使用され、公民の占有率は4%になったという。保守派首長の主導で事前に教育委員や教科書採択協議会のメンバーを代えたり教科書の選定方式を変えたり、議会の決議や請願・陳情によって採択を求めるといった戦術が奏功した面が大きい。それに対して、護憲派の対応が後手に回った感は否めない。しっかり関心を持ち、問題提起をしてきたか、改めて自分の問題として反省する必要があると思っている。
2012-02-15

◆この問題については、石垣市内に住む親子が原告となり、9月の教育委員協議で採択された東京書籍版の
無償給付を求める裁判
を起こすという事態にもなっています。
(2月9日琉球新報)。