※「ドイツ帝国」――原理上ではカールの戴冠(800)が神聖ローマ帝国の誕生としているが、事実上ではオットーの戴冠(962)でもって誕生としている。

オットー・フォン・ビスマルク
ドイツ帝国首相オットー・フォン・ビスマルク(c)AFP 

【11月9日 AFP】ドイツの極右勢力は、ドイツ帝国と第1次世界大戦におけるその役割を復活させようと試みている。第1次大戦の休戦協定から100年を迎える今、何十年も前の論争が蒸し返されている。 

 独極右系雑誌「コンパクト(Compact)」は11月の特別号で、連合国とドイツの間で1919年に締結され、ドイツに第1次大戦の巨額な賠償金を科すこととなった講和条約「ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)」を特集している。この雑誌は、反移民・反イスラムを掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に近い。 

「ベルサイユの恥辱―戦勝国はどのようにドイツを奴隷にしたか」という記事のタイトルは、1920年代に帝政時代への郷愁を感じていた人々やナチス・ドイツ(Nazis)が用いた言葉遣いを思い起こさせる。
 この記事は、20世紀最初の破壊的な大国と長年みなされてきたドイツ帝国(1871~1918年)の再評価を試みている。 

 ◇反移民・反イスラムを掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」

アレクサンダー・ガウラント党首
アレクサンダー・ガウラント党首(c)John MACDOUGALL / AFP

■「強国への道」 

 独ハンブルク大学(Hamburg University)の歴史学者だったフリッツ・フィッシャー(Fritz Fischer)氏が1960年代初めに発表した論文は、ドイツ国内で論争を引き起こした。
 第1次世界大戦とソンム(Somme)、ベルダン(Verdun)、ガリポリ(Gallipoli)の戦いの責任は、唯一ドイツ帝国にあるという内容だった。 

 フィッシャーは著書「世界強国への道―ドイツの挑戦、1914-1918年(Bid for World Power)」で、ウィルヘルム2世(William II)の臣下は人種差別主義者や帝国主義者のエリートが占めており、ドイツを世界の強国にしようとして意図的に第1次世界大戦を引き起こした、と主張した。 

 フィッシャーは、ドイツが欧州とアフリカを支配するために、オーストリア大公フランツ・フェルディナント(Franz Ferdinand)の暗殺に端を発した危機に乗じてフランスとロシアとの戦争に突入した、そしてその満たされなかった野望が後にナチス政権誕生へと道を開いた、と論じた。
 この主張は、ドイツが戦ったのは防衛戦争だったと信じていたドイツ国民の考えを覆すものだった。 

「ドイツ帝国と軍国主義、帝国主義に対する辛辣な批判」を核とするフィッシャーの主張は「今日でも左派の間で広く共有されている」と、独フライブルク大学(Freiburg University)のヨルン・レオンハルト(Joern Leonhard)氏は言う。 

 それとは対照的にAfDは、ドイツ帝国を「近代的で、産業が発達した、非常に保守的な国」として「美化」しようとしていると、歴史学者クラウスペーター・ジック(Klaus-Peter Sick)氏は指摘する。 

■ナチズムよりも前の「古傷」 

 AfDの党員らは演説で、オットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck、1815-1898年)と彼が首相として率いた「プロイセンの城々」の時代をたたえている。ジック氏は、ドイツ帝国の「規律と秩序」を重んじる価値観は、AfDの価値観と一致すると言う。 

 AfDの党首アレクサンダー・ガウラント(Alexander Gauland)氏は、ヒトラーの時代について「ドイツの輝かしい1000年の歴史」における「ほんの小さな汚点」だと言う。 

 そのナチス時代の最後の目撃者が亡くなりつつある今、「ドイツ人は自国とその歴史に誇りを持ち、あちこちにナチズムの亡霊を見ることをやめるべきだ」と国民に訴えることが、極右勢力の目標だとジック氏は語る。 

 ドイツは長年にわたり、第2次世界大戦とナチスの残虐行為やホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を忘れず、罪を償ってきた。だが、第1次世界大戦の記憶はそれに比べてずっと薄い。 

エマニュエル・マクロン アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)独首相は今月10日、第1次世界大戦の休戦協定が締結された仏ルトンド(Rethondes)をエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)仏大統領と訪れる予定だが、メルケル氏が出席する100周年関連の行事はこれが唯一となる。

「ドイツの政治家たちは、古傷を開かないことを重要視している」と、レオンハルト氏は語った。(c)AFP/ David COURBET 
Afp 2018年11月9日

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※ブレスト=リトフスク条約
第一次世界大戦の終結を巡り、ブレスト=リトフスク(現在のベラルーシのブレスト)で締結された講和条約。
条約は1つであるが、立場の異なる2者によって協議が行われたため、実質的に以下の2つの条約が存在している。

1.1918年2月9日(ユリウス暦1月27日)に結ばれた条約 - 中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国)とウクライナ人民共和国とが講和を結び、反ボリシェヴィキ共同戦線を張ることを合意した。なお、ウクライナではベレスチャ条約(Берестейський мир)とも呼ばれる。

2.1918年3月3日に結ばれた条約 - 中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国)とロシア共和国およびウクライナ人民共和国のボリシェヴィキ政府(ソ連の前身)とが講和を結んだ。この条約により、ロシアが第一次世界大戦から離脱することとなった。

ブレスト=リトフスク条約によってロシアがドイツに割譲した地域
ブレスト=リトフスク条約によってロシアがドイツに割譲した地域