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[村山富市元首相の秘書官を経て、在野の研究会を立ち上げた河野道夫氏]

◇道交法違反容疑で逮捕の男は村山富市元首相の秘書官で元社会党本部書記

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設への抗議活動で工事関係車両の通行を妨げたとして沖縄県警が20日に道交法違反(禁止行為)の疑いで現行犯逮捕した住所不詳、自称無職の75歳の男は、元社会党本部書記で村山富市元首相の秘書官を務めた河野道夫氏であることが、県警関係者らへの取材で分かった。

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[村山富市元首相]

 逮捕容疑は20日午前9時15分ごろ、移設先に隣接する米軍キャンプ・シュワブゲート近くの国道329号で、資材を運んでいたダンプカーの前に立ちふさがり、通行を妨害したとしている。河野氏は21日に釈放されたという。

 関係者によると、河野氏は現地で辺野古移設反対を訴える活動家たちのリーダー的存在で、頻繁に抗議活動を行っていた。
産経ニュース 2017.7.22


(参考)
◇第4部 9条の21世紀<2> 政界去った戦争体験世代 [河野道夫:東京新聞]

 一九九四年九月、社民党の前身である社会党は真っ二つに割れた。新政治方針を決める臨時党大会。「自衛隊合憲」「日米安保堅持」「原発容認」。従来路線の大幅転換が、党から約半世紀ぶりに誕生した首相村山富市の発言に沿う形で提示された。沖縄など反対する県本部は修正を求めていた。

 「修正したら村山政権は持たない」。幹部の発言に、反対派をたき付けた党政策審議会の河野道夫(71)は憤った。
「自民と交渉もせず、何をおびえている」。結局、予想以上の大差で原案が可決。
 河野は「野党から責められる村山が気の毒、という同情論にやられた」とうめいた。

 改称した社民党からは、旧民主党に半数の議員が流出。九六年の総選挙で、議席数は十五にまで落ち込んだ。かつての野党第一党の凋落(ちょうらく)を、村山の首相秘書官も務めた河野は「党大会が分水嶺(れい)。護憲政党としてのアイデンティティーを失った」と悔やむ。

    ■

 二〇〇三年七月、戦地イラクに自衛隊を派遣するための特措法が、国会で議論されていた。自民党元幹事長の古賀誠(72)は、ハト派の重鎮、野中広務とともに衆院での法案の採決を棄権した。

 湾岸戦争以降、次々と自衛隊が海外へ派遣される現状に、危機感を抱いていた。「たとえ小さな穴でも、一つあけば広がっていく。先の戦争の時もそうだった。きちんとした歯止めが必要」。それが、太平洋戦争で父を亡くした古賀の政治哲学だった。

 護憲政党が力を失う中、自民の重しとなったのが、戦争を体験した世代の議員だった。だが、その思いとは裏腹に、自民、民主の二大政党は改憲に向け歩調を合わせていく。

 〇五年には、約四十年ぶりに設置された憲法調査会が五年間の活動を終え、報告書を提出。改憲手続きに必要な国民投票法案の成立に向け、両党と公明の三党担当者は毎週のように議論を重ねた。
 〇七年、「私の内閣で憲法改正を目指したい」という首相安倍晋三の発言が民主の反発を招くまで、蜜月関係は続いた。

 昨年末、安倍が首相に返り咲き、改憲論は再び勢いを増す。古賀や野中らハト派の多くは政界を去った。
 〇七年まで自民の憲法調査会長だった船田元(59)は、三年余の自らの落選期間の間に、憲法への自民の姿勢が「乱暴になった」と懸念している。「われわれの考えを憲法に書き込めばいい、という欲求が高まってきた」

    ■

 社民党職員を退職した河野はイラクに自衛隊が派遣された〇三年、国際法を学ぶため渡英した。九条が空洞化するのは、国連が機能せず、日米安保に頼らざるを得ないからだと、長年の経験で痛感した。「ならば国連憲章を抜本改革できないか」

 英語の習得から始め、足かけ六年で、資料の豊富なスコットランドの大学の修士課程を終えた。
 帰国後、勉強会を立ち上げ、なお国際法の研究を続ける。

 一年半前には、住まいを沖縄に移した。
 基地負担を強いられる人々の「怒り」を共有するためだ。
「世界情勢に合わせ改憲するのでなく、国際社会の秩序を九条に近づけたい」。高すぎる理想のために、怒りのエネルギーが必要と信じている。 (敬称略)
東京新聞