※北条一門のために夫・源頼朝との間の二人の息子(頼家と実朝)と孫の公暁を殺し、夫の頼朝を洗脳して頼朝の弟・義経にあらぬ罪を着せて追討、夫の血を引く男系男子の根絶を図った“サイコパス”北条政子と対比されるのが、藤原不比等を父に持ち、臣下(平民)出身の皇太后として皇位簒奪を企てたといわれる藤原光明子こと光明皇太后。

昭和天皇が「徳」の字に込めた思い・・

 正しい皇統意識の希薄な光明皇太后とその操り人形であった娘の孝謙天皇(のち称徳天皇)、そして孝謙天皇と内縁関係を結び臣下(田舎豪族出身)でありながら皇位を窺った无道の僧侶、道鏡が招いた皇統の危機が令和の時代に再現されようとしています。

 和気清麻呂が「別部穢麻呂(わけべきたなまろ)」と改名を命じられ、流罪になってまで宇佐八幡宮の「神託」復奏の勅命を果たしたことでかろうじて危機を脱した皇統の歴史が、令和の“道鏡一派”によって再び脅かされようとしているのです。

 天皇の皇子でもなく皇族ですらない現代の“道鏡”と、それを祭り上げることで皇位簒奪、ひいては皇統断絶を目論む“道鏡一派”の策謀を粉砕し、祖先の叡智と伝統的制度への敬仰を伝えることこそが国民に課せられた義務、使命であると考えます。 *

「祖宗の皇統とは、一系の正当を承くる皇胤(男系子孫を指す言葉)を謂ふ」
「皇室は、直系・傍系にこだわらず、“数代単位の支系”をパッチワーク的に織りなしてきたからこそ“万世一系”が連綿と続いてきたのである。日本の皇統は“支系の統合(積分)”である」(中川八洋『皇統断絶』)とあるように、“数代単位の支系の相補”によって存続しえたのです。

六合森 修 記