石破茂 北朝鮮への制裁反対派
「拉致解決へ連絡員事務所を」=自民・石破氏(時事ドットコム

 ◇「石破茂防衛相は、北朝鮮で美女をあてがわれた!」元東独秘密警察幹部

平成4年(1992年)
石破茂が金丸信訪朝団メンバーとして平壌を訪問し、女をしつこくおねだりし、美女をあてがわれ、ビデオ撮影され、北朝鮮工作員となり、北朝鮮への制裁に反対した。

「週刊文春」平成15年5月1日・8日合併号
“北朝鮮で女をおねだりした「拉致議連」代議士”

        *

石破

[記事要約:筆者]

「激しい批判をする野党の後ろにも国民はいる」
石破茂が語る国会・憲法・沖縄‐ ハーバービジネスオンライン(扶桑社-フジサンケイグループ)
※扶桑社は、菅野完氏の『日本会議の研究』を出版している。 ←★


◇政治生命を終わらせられるより“反日、反安倍”に活路を見出した苦肉の策か

 9月7日告示・20日投開票の日程で行われる自由民主党の総裁選挙は、野田聖子氏の出馬断念により、安倍晋三氏と石破茂氏の一騎打ちとなった。

 その覚悟のほどが知りたい――。

 政策面の質問はそれら大手メディアに譲ることとし、メジャーなメディアが等閑視するであろう質問ばかりをあえて選んでみた。
(聞き手:菅野完)

菅野完 石破茂

 ◇平和安全法制の頃から抱いていた違和感

――結果として安倍さんと石破さんのお二人だけになってしまいましたね。

石破茂氏(以下、石破):そうなっちゃいましたね。

――結果としてこのお二人になったことでとても面白い対比が生まれたなと思います。
 昭和最後の中選挙区選挙を知る政治家が、平成の申し子・小選挙区の申し子のような安倍さんと、平成最後の総裁選で一騎打ちになるという対比は極めて興味深いなと思います。

 そこでお伺いします。
 石破さんは、野党時代を含め安倍政権を幹事長という立場でご覧になられて、安倍政権の姿は、それまでの石破さんがご覧になられていた自民党とはだいぶ違ったものだったのでしょうか?

石破:幹事長時代には違和感はなかったですね。

――なかったですか。

石破:それは本当になかったです。
6年前、安倍先生と私が総裁選を戦ったとき、安倍先生は国会議員票の決選投票で圧倒的に勝たれて、地方票では私が多かったですが、まずは安倍石破体制で政権奪取する。

自民党はまず政権を奪還するために全身全霊でやり、政権奪還選挙が12月でしたから、10、11、12の3か月間、本当に全力でやりました。幹事長時代にはまさに一体となってお支えしてきたつもりです。

――その後、地方創生相として入閣されます。執行部に違和感を抱きはじめたのはその前後ぐらいからの時期でしょうか?

石破:私も幹事長として執行部側でしたから、安倍総理との相違ということでしょうか。
憲法改正はすぐできるものじゃない。それまでの間、「安全保障基本法」によって我が国の安全保障政策の基本を定めるべきだということで、これも党議決定をして、政権奪還選挙に臨み、政権を奪取したわけです。

――と、いうことで担当大臣にされそうになりましたね……。

石破:「平和安全保障法制」は、選挙前に党で決めた内容とは違うものでした。その後、改めて党議決定をして法案を通しましたが、今の憲法下での集団的自衛権は平和安全法制が最大限だということになってしまった。私は、集団的自衛権行使については法律で厳格に制限すべきものではあるが憲法の問題ではない、という立場です。

集団的自衛権の行使については私の政治家としての信念に関わることですから、閣内不一致と糾弾されて、政権にご迷惑をかけてしまうことになる。ですから大臣はお受けできなかったのですが、その時から違和感を抱くようになった気がします。


 ◇なぜ安倍首相は平成24年憲法草案を棚上げ?
 
「禅譲」はあり得ない
――今日は聞きにくい質問を先にしようと思いましてですね。あの後、本当は石破さん、総裁選挙結果として無投票となった2015年の総裁選挙に出たかったのではないか?と

石破:あの後? いや。私は、閣僚か党三役でいるときは総裁選に出ませんので。

――無役のときでないと出ない?

石破:そうですね。

――ポリシーとしては御出にならない?

石破:まあ、そういうことです。党三役や閣僚は、その政権に直接の責任を持っていると思っていますので。

――政権に責任を持つ立場の人間が政権を批判するような行為、すなわち総裁選に出て真っ向勝負するということはすべきではないと?

石破:と言うのは私の考えであって、他の人がそうしても非難はしません。

――なるほど。あのときに出られなかったことを実は後悔されてらっしゃるんじゃないのかなと。地方創生相として入閣に応じられたということを今になって後悔されてらっしゃるんじゃないのかなとずっと思っていました

石破:それはありません。

――なるほど。禅譲を期待しておられたわけでも?

石破:それは全くないです。そういうようなことが朝日の何かに書いてあるらしいですけど、地方創生大臣という役職は、私自身、鳥取の出身だし、農林水産大臣もやってきたし、やっぱり農業、漁業、林業、そして地方は、防衛と並んで私のライフワークなんですね。

――お父様(※石破二朗。元鳥取県知事、鈴木善幸内閣において、自治大臣兼国家公安委員会委員長)の時代からそうですね。

石破:はい。地方創生を手掛けるっていうことには、ものすごく自分としてやりがいを感じていたので、あそこで閣僚を受けなくて次に出るとか、閣僚を受けて禅譲とか、考えたことはありません。

――党から求められた役職を全うして、政権から求められた役職を全うして、しかもそれがご自分のライフワークと合っていたから務め上げようとされたわけですね?

石破:そうですね。それに、禅譲なんてありえないもの。

――無いですよね。いや、これは言外に岸田さんを批判してるわけではないですが(笑)

石破:少なくとも私の知っている中でそんなことはなかったです。

――自民党の歴史上かつてなかった。

石破:おそらくそうだと思います。

――政治ですから、政権というものは権力闘争の結果奪ったものばかりですしね。それがまた自民党のダイナミズムだと思います。この事務所の書棚には、かつての自民党の総理総裁の方々の写真が飾られていますが、この皆さんも戦って政権の座に座られた方々ばかりですものね。

石破:そうですね。

――いや、「石破さんは一時期、禅譲を期待していたのではないか?」とずっと気になっていましたもので。

石破:そんなこと思ったことはありません。

――なるほど。

石破:はい。あり得ません。

――もう一つ、石破さんと安倍さんの一騎打ちになって対比が明らかになってよかったなと思うのは憲法の話です。とりわけ憲法9条改正の扱いです。安倍さんは突如、「9条2項に手をつけないで自衛隊明記する」と、自民党の平成24年憲法改正草案(谷垣禎一総裁=当時↓が発表)を事実上踏みにじることを言いだしました。

石破さんは以前から「党内の議論等々全て無視する行為」だとご指摘しておられますが、安倍さんが棚上げ宣言をした理由をどうお考えですか。

谷垣総裁
谷垣禎一前幹事長

石破:それはわかりません。平成24年の自民党憲法改正草案っていうのは、安倍総理が第1次政権をつくる前、幹事長をやっておられたときにおっしゃっていたことと、ほとんど一緒です。
私は、6年前の総裁選挙の時の街頭演説でも、「憲法9条についての考えは、安倍先生と全く一緒ですと」言った記憶があります。

――おっしゃるとおり、そう言っておられました。それに平成24年の憲法草案は、それなりの党内議論を手順を踏んでいってできたものを幹事長の立場あるいは、総裁候補の立場として否定するわけにいかないってこともありましょうし。

石破:よく分かりません。何か、優先順位を変えるきっかけがあったのでしょうか。

――安倍さんの主張をみていると、自民党改憲草案ではなく、「9条2項はそのままで第3項を追加し自衛隊を明記する」という案は、「自衛隊は違憲であるという学説を封じ込めることが目標」だそうです。いまになって急に、安倍さんの支持者たちが、正当化するために大キャンペーンを張っているのも奇怪だなと思っていたところです。

石破:たしかに、不思議な感じがしますね。

 
 ◇石破「共産党の吉岡参議院議員が引退前に防衛庁に挨拶に来た」

厳しい質問をする野党議員の後ろにも「国民」がいる
――聞きにくい質問が終わったのでちょっと砕けた質問を……。これネットの世界を中心になんですがもう長年、このキャンディーズを囲む写真が石破さんではないかという話がながれておりまして……。

石破茂 キャンディーズ

石破:それは私ではありません。まったく別人。

――コンサート等には行っておられました?

石破:コンサートには行っていません。僕は陰からそっと見守るほうだった。

――僕はランちゃん派なんですけど。3人の中ではどなたが?

石破:私はミキちゃんですね。まったく関係ないです、その写真は。

――これで長年の疑問が解消しました(笑)。さて、次に国会対応について伺います。インタビューに先立って、野党の議員を中心に、石破さんについての印象を聞いて回りました。皆さん異口同音におっしゃるのは「石破さんほど国会を大事にする自民党の代議士は最近少ないのじゃないか」と。

昨日話を聞いた野党議員は、「質問の際、後で石破さんがうなずいてくれているのを見ると、今回の質問は芯を食っている質問だったと自信がつくんだ」と言っていました。テレビの中継で、与野党問わずいい質問がでると大きく頷いたり感心した表情をしたりされる石破さんの姿をみると「そこまでやる必要ないんじゃないかな」と思うほどです。

石破:それは、国会って、「わかってください」っていう場だと思っているからです。ただ時間を消化するではなく、事情や主張を「わかってください」「理解してください」と正式に主張できる場だと私は思っているんです。

私が防衛庁長官の時、その選挙で引退されるっていう共産党の参議院議員が、1人で防衛庁に訪ねてこられたのです。
 その吉岡さんという方がおっしゃったのは、「私は今回で引退するが、その前に一言だけあなたにお礼を言いたかった」「あなたと私の主義主張は全く違うが、あなたは私の質問に正面から答えてくれた。共産党だからと等閑視せず、一生懸命答えてくれた。それが嬉しくて引退するにあたってお礼を言いにきた」と。

――それが多分、ここ6年間見られない光景、なんでしょうねぇ。

石破茂 「靖国参拝しない」


 ◇石破「贖罪感なしで沖縄の基地議論は始まらない」

本土からの米軍基地移転への贖罪感がないと沖縄は始まらない
――もう一つ質問です。いま、沖縄がああいう状況で、翁長知事もああいうことをされてこられた中で、辺野古移転について石破さんは、いまどのようなご見解を持ってらっしゃいますか?

石破:辺野古移転は、少なくとも今の普天間基地が続くという「ワースト」な状態を若干なりとも改善する、という意味があると思っています。

私は防衛庁長官のときに何とかメガフロートでできないか、くい打ち桟橋方式でできないかと主張しましたが、当時の小泉総理は現行案で決定されました。

騒音にしても、例えばきちっと決められたルートを飛んでくれってのは、日本政府としてもっと言わなきゃダメで、今の普天間でもその辺は改善の余地が相当にあると思っています。だから「今よりも少しはよくなる」ということであって、ベストとかベターとかいう言葉は使えませんが、ワーストではなくなるということで申し上げてきました。沖縄の自民党は当時からその方針反対でしたが政府として決定しました。

――6人全員反対でしたね。

石破:しかし党として、彼らを説得するしかない。それは党の責任者たる幹事長がやるしかない。辺野古容認の判断をしたのは、沖縄選出の彼らではありませんということを示す必要がありました。ただ、私の配慮が足りなくてまるで私が言い渡しをして彼らが項垂れているような構図になってしまった。

――そうですね。あの頃の写真はそう見えますね

石破:それはそれで仕方がありませんね。とにかく沖縄の議員には責任を負わせたくなかったということです。
 ですが、これから先、知事選もありますが、我々自民党として、まずやらなきゃいけないのは、沖縄に本当に申し訳ないという思いが持てるかどうかだと思っています。

――これ、あえて聞きにくいことを聞くのですが、もしその「沖縄の犠牲」を意識するというのであれば、普天間の移転が辺野古ではなくて県外っていうチョイスってのは、石破さんの中では今後、検討の余地はあるのでしょうか?

石破:辺野古基地への移転は、こんなに時間がかかっているけれども、第一次案でしかないのです。その先にどれだけの機能や基地を国内外に分散できるか、という検討の余地は当然あるべきだと思います。ただそこにおいては、地政学と言うとよくわからないかもしれませんが、軍事合理性という観点が常に必要です。

(中略)

 ◇もしこの後総裁選で石破さんが負けて冷遇されたら党を割って出ていく?

――では最後の質問ですが、最近石破派の若い先生がたが石破さんを支えるために、奮闘されておられる印象を受けます。もしこの後総裁選で石破さんが負けてその後冷遇されるようなことがあったら、若い人たちが「党を割って出るぞ」ぐらいのことをいいかねないと思っていますが、もしそのようなことが総裁選後にあった場合、どうされますか? 

石破:うちの水月会のメンバーは、「ポストとカネが欲しければ、石破派なんかいないよ」って言い放つことのできる人たち。本当にみんな政策的にも政治的にもそれぞれ非常に能力の高い議員の集まりなんです。


 ◇「小沢一郎さんが《真の保守》ではなかったと知りショックを受けた」

――今回の総裁選では、2回だけ公開討論が予定されています。どういう気持ちで臨まれますか?

石破:党を出るとかは、私一回出ているんで、「青い鳥はいない」っていうのはよくわかっているつもりです。
「小沢一郎先生こそが真の保守だ」と思って、私は不信任案に賛成して無所属で当選して、その後自民党籍に戻りました。小沢さんは「真の保守」ではなかった、ということに気付いたときのショックは大きかったです。

――何がきっかけで気づかれました?

石破:それは、一番は、「新進党で総選挙戦う」となった解散のその日にFAXが来て、「集団的自衛権は認めない」「消費税は21世紀まで3%に据え置く」っていうのをみたときでしょうね。

その前に、すでに「小沢-羽田闘争」、つまり小沢先生と羽田先生で代表の座を争う、それが派閥抗争化する、という状態になっていて、なんなんだこれは、って思いました。あの公約が最後通牒のようなものでした。

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<インタビュー・構成/菅野完 撮影/菊竹規>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。現在、週刊SPA!にて巻頭コラム「なんでこんなにアホなのか?」好評連載中。また、メルマガ「菅野完リポート」(https://sugano.shop)も、目下どこよりも早く森友問題などを解説するメディアとして注目されている。

菅野完