■拉致被害者 原敕晁(ただあき)さん(1936年8月2日生)
 1980年の拉致被害当時43歳、中華料理店コック

■拉致実行犯 辛光洙(シンガンス)(1929627日生)
 ラジオコードネーム=29627 
 拉致実行時50歳

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(1)在日協力者接点に対象物色
  「日本人に成りすまし情報収集せよ

 ―基本任務―
 ・日本に浸透し合法身分を獲得。
 ・そのために日本人を拉致し、その人物に成りすます。
 ・背乗り完了後、南朝鮮(韓国)の各種情報を収集・報告。
 
 ―背乗り対象条件―
 ・日本人であること。
 ・辛光洙容疑者と同世代(45~55歳)。
 ・独身で身寄りがない者。
 ・前科が無く、旅券の発行を受けたことがない者。

 ―生活拠点を提供した協力者―
 当時43歳の在日朝鮮人女性:朴 春仙(パク・チュンソン)。
 朴と2人の子どもは一階で生活。
 辛光洙は二階に籠って必要最少限しか外出せず、本を読み漁り、暗号の聞き取りをしていた。
 朴 春仙は、自衛隊の飛行機や武器に関する本を辛の代わりに買っていた。
 
朴春仙

 ※辛光洙と朴春仙は2000年1月10日に韓国のソウルで対談
 1時間ほどの会話ですが興味深い話がいろいろ出てきます。

 ※朴春仙の妹所有の貸家にオウム真理教幹部・村井秀夫を刺殺した徐裕行(2007年出獄)、羽根組の高英雄らが共同生活をしていた。(朴春仙姉妹は土台人である可能性が高い)

徐裕行
[徐裕行は2007年に出獄 若林盛亮らとも親交がある]

(2)総連幹部ら4人で拉致と背乗りのシナリオ作成
  「新しい仕事を紹介する」という設定で4人で原敕晁さんを嵌める。
 拉致計画の謀議の場所:大阪御堂筋沿いのふぐ料理店。
 面接場所:ふぐ料理店の謀議の十日ほど後、別の料亭で。

 ・辛光洙=専務役。“採用内定”後、“社長の別荘”に連れて行く役。
 ・常務役=協力者の在日韓国人 →後に自首して拉致が発覚する。
 ・社長役=朝鮮総連大阪商工会議所幹部。
 ・協力者=原敕晁さんの雇用主の中華料理店経営者(朝鮮総連大阪商工会議所元幹部)

(3)拉致、戸籍謄本取得
  「社長の別荘に行こう」

 ・面接時に社長役から就職準備&旅費として100万が辛光洙に手渡された。
 ・原敕晁さんは4人に囲まれ、かなり酒を飲まされていた。
 ・別荘で数日後に会う約束をして社長役が退席。
 ・その夜のうちに夜行列車に乗せられた原敕晁さんは、辛光洙と常務役の在日韓国人とともに大分県の別府に向かう。
 ・別府に到着後、さらに移動して宮崎の青島海岸のホテルにチェックイン。
 ・泥酔するほど酒を飲まされた原敕晁さんは「社長の別荘へ行こう」と言われ、青島海岸海水浴場北端の小川のところまで連れて行かれる。
 ・暗闇で待ち構えていた工作員4人が原敕晁さんを拉致、辛光洙も同乗し船で北朝鮮・南浦港に到着。
 その瞬間に辛光洙は原敕晁となった。背乗り完了。


(4)背乗り完了後、“本人”になりきり世界に出没
 
 ・原敕晁さんの戸籍謄本、在職証明書を手に入れた辛光洙は、運転免許証、パスポートを次々に不正取得し、日本やヨーロッパなどで工作活動を開始。
 ・「赤化統一」へ韓国潜入も。
 ・在日韓国人女性に韓国クラブを開かせ、工作の拠点とする。
 ・拉致実行時に常務役だった在日韓国人の自首により韓国で逮捕される。
 ・北朝鮮に送還され、現在は英雄扱いを受けて暮らしている。
 
(5)拉致被害後の原敕晁さんと田口八重子さん
 ・原敕晁さんは北朝鮮の“招待所”に隔離・監視状態におかれ、原さんより2年ほど早く拉致された田口八重子さん(金賢姫の教育係だった李恩恵)と結婚。
 ・拉致から6年後、49歳で亡くなる。
 ・田口八重子さんは、夫原敕晁さんの死で精神的ショックを受け、トラックと乗用車の衝突事故で亡くなる(30歳)。

 ※原敕晁さん田口八重子さんの死亡に関して、合理的な説明や裏付けとなる証拠は一切提示されていない。
  
 ※原敕晁(ただあき)さんの唯一の肉親である兄耕一さんは、2010年12月14日に85歳で亡くなった。