※歴史というのは常に現在進行形であり、研究と名がつくものは歴史研究に限らず過去、現在の有名、無名を問わない人々の集合知、人類共有の知的財産です。

 松尾一郎氏も動画の中で語っているように、歴史研究に携わる者は、埋もれた歴史の中から一つでも多くの事実、真実を掬い上げ、集積し、次の世代、さらにその後の世代へと正しく伝えていく使命を自覚し、真摯に向き合う謙虚さが必要とされます。そこには個人の手柄自慢や些末な事情、感傷など入る余地もありません。

 嘘に嘘を重ねた挙句、時空を超えて“直系氏”自身(1950年生)が生まれる前にすでに故人となっていた松井石根大将(1948年没)の直系と言い切るに至っては、普通の感覚ではいったい何の冗談かという話になりますが、ある種の洗脳状態にある人にとっては、「わぁ~すごい。直系氏さんが最高、ほかの人は三流以下のど素人」となってしまう。
 これはある種の催眠状態におかれ、言葉巧みにファンタジー世界に導かれていることに本人が気づいていないからなのですが、その嘆かわしい実態に水島氏と松尾氏が鋭く、冷徹に斬りこんでいます。  *


【直言極言特別編】デマゴギストの嘘を完全論破する![桜R2/5/23] 

***騒動が拡大する原因となった 誹謗中傷動画 ***

FACT:
●「処刑手順」の客観的事実を証明するGHQ公文書を松尾一郎氏が提示
 2013年に関西大学の永田憲史教授が発見した、米国国立公文書館収蔵の「A級戦犯の死刑執行手順書」を入手しチャンネル桜に提供。

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「A級戦犯の死刑執行手順書」より

 これまでも繰り返し説明してきましたが、なぜガラス製コップを使用できないかは、上記を見ても明らかであり、後発の小説に登場するような「13階段下でしんみり別れの盃をかわす」シーンなど許されないということも歴然たる事実です。

FACT:
●米国国立公文書館収蔵のGHQ報告文書の中に、「教戒師は処刑台の下まで付き添い、見届けるものとする」旨の記述がありますが、これは、下記の要望に基づいたものでした。

「A級処刑の際は、東條英機が死刑を宣告されたとき、プリズン所長に『日本人の教戒師花山信勝師に最期を見届けてもらうことを望む』と申し込んで、許可されたのだった。
 目撃したといっても、居並ぶ幹部、各国代表と同席したのではなく、死刑棟の扉の隅からうかがっただけなのだが、花山師はまさしくその瞬間を見た」(「教戒師花山信勝と死刑戦犯の記録」)

教誨師は絞首台の下まで付き添う

 検証④の【巣鴨プリズンの組織構成】でも説明しましたが、教誨活動もオペレーション・オフィサー(少佐クラス)に入っており、花山信勝教誨師は、外務省の外局(終戦連絡事務局)と司法省から任命された政府要員であり、GHQとの契約のもと、一定の制約下におかれていました。


●W.J.Sebard 『日本占領外交の回想 』(1966)
日本占領外交の回想 (1966年)

 処刑の立会証人として一部始終を見届け、処刑前の最後の儀式を執り行った花山信勝師に対する聞き取り調査も行ったシーボルト氏の著書。

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『日本占領外交の回想』より

 23:55頃シーボルト氏らが聞いた「万歳!」三唱の声は、第一棟一階で松井石根大将が東條英機らに促されて唱え、他の3名が唱和した時のものです。

 直系氏は「聞こえるはずがない」などとと言っていましたが、刑場棟よりさらに遠くにある将校クラブの嬌声が囚棟まで届いていたという事実と照らし合わせても、万歳三唱が聞こえたというのは、何ら矛盾するものではありません。

俯瞰図
俯瞰図
本庁舎と繋がっている第一棟側のドアから出て刑場棟に向かったと思われる

●「公式記録上はカメラが入ってなかったことになっているが、密かに録画されていたという説もある」水島氏

 立会証人のなかには、中国代表の商震(Shang Chen)二級上将も含まれていましたが、中国のサイトなどをみると、東條英機はじめ七人の殉難者の死を冒涜するような表現が繰り返し出てきており、ここに書くのも憚られるほどです。
 そういう意味では非公開記録として残されているフィルムがあるとしたら、それはそれで重要な意味を持っているものと思われます。

 東京裁判自体の正当性にかかわる問題でもありますから、おそらく上記のフィルムが公開される可能性は低いと思われますが、一部始終を目撃した花山信勝師の「まことに立派な最後でした」という証言に込められた思いは7人の殉難者たちの無念の代弁であり、我々が胸に焼き付けるべき痛惜の情でもあります。

 映画「南京の真実」の中で、通訳の杉野まこと軍曹が、「皆さん、ご立派でした。私は日本人として……」と花山信勝師に言って立ち去るシーンに、我々日本人の届かざる万感の思いがこめられているようにも思われます。

makoto sugino シーボルト議長


●直系氏が怒りを覚えたと主張するシーン①
――それは、直接南京と関係ない屈辱的で自虐的なシーン、我が国の首相や大将を務められていた方々がロープで縛られ 絞首刑のシーン――

FACT:
「まもなく三階から処刑第一組として土肥原、松井、東條、武藤の四人の順で、列をつくって降りて来られた。 それぞれ二人の看視につきそわれていた。  両手には手錠がかけられ、さらにその手錠は、褌バンドで股に引っかけられていた。 極めて不自由な姿 である。 着物はいつも着ていられた米軍の作業衣であった」(花山信勝 「巣鴨の生と死」p.382)

 警備等の安全性の問題において、被処刑人が万が一にも暴れたりしないようにということで、ロープや手錠によって厳重に縛られていたのは、以下のような手順を遵守したことによるものです。

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「A級戦犯の死刑執行手順書」より


●直系氏が怒りを覚えたと主張するシーン②
「田中正明先生の名前が、エンドロールに表記されてなかった」

FACT:
水島氏「映画制作当時、田中正明氏はすでに故人であり、協力者・協賛者に名を連ねることは適切でない」

●直系氏が怒りを覚えたと主張するシーン③
「田中正明先生の顔写真がまったくの別人だった」 ←映画とは全く関係なし

FACT:
水島氏:「番組収録後、スタッフが誤って同姓同名の別人の画像を出して編集してしまったことは、著作権等に抵触しない画像を探せなかった旨も含めて、番組内で謝罪訂正済みである」と訂正、謝罪。


2

●直系氏の主張
花山氏回想録:「仏前のロウソクの火を線香につけて、一本ずつ手渡し、」
直系氏:⇒「映画『南京の真実』で線香を自分で2本とり香炉にも自分で立ていたのは虚偽」

筆者註:映像を確認してみましたが、「自分で線香を2本とった」という描写はありません。(すでに手に持っていて)自分で火をつけたというシーンはあります。

FACT:
 線香の本数については宗派によって違いがあり、浄土宗には決まりがありませんし、線香を折るなどして1本から3本までそれぞれ意味を持って行われているようです。線香の数

 本来神道であった東條英機は映像では1本、土肥原賢二は2本、松井石根は1本、映像には映っていませんでしたが、禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗他)の広田弘毅は1~3本で儀式を行ったと思われます。

 ちなみに、映画『私は貝になりたい』では、教戒師役の笠智衆が主人公の死刑囚に2本の線香を渡し、「1本はご先祖様、もう1本はご自分のために」と説明していました。

       *       *

◆学歴詐称疑惑問題

ネットでも「学生証の色が違う」と話題に
学歴詐称疑惑 学生証
動画】学生証と称するものを提示し、「成績は全優だった」と説明(6:43~)

■慶応義塾大学の成績評価体系に「優」はない

プロフィール
学歴詐称
『朝日が明かす中国の嘘 』(日本語) 単行本 – 2003/6/1 田中 正明 (著)

『ニュースキャスター筑紫哲也を斬る』水間政憲著
株式会社日新報道 2003年7月30日発行
メディア批評家・造形作家
慶應大学法学部政治学科専攻

“ひと目シリーズ”や最新刊では、「慶應義塾大学法学部政治学科中退」となっています。

comment欄より――
第108回第1部「学歴詐称誹謗中傷への反論・他」
https://www.nicovideo.jp/watch/so34349133
(6:45あたりから)
・動画の中で、「東京外語大学の名誉教授になったワタナベさんの授業を受けた」とありますが、同大学の名誉教授で「ワタナベ」という人は2名。渡邊啓貴氏(1954年~)と渡辺雅司氏(1945~)です。両名とも1950年生まれの水間氏が師事したというには年齢・経歴等が整合しません。

・「国際政治学はサイトウユウスケという若手の先生に教わった」→齊藤祐介氏(1956年生まれ)
著書『冷戦期の国際政治』(共著、慶應通信、1987年)など。現在、静岡文化芸術大学文化政策学部助教授。
これも上の件と同様。

――


「南京の真実」
検証① 検証② 検証③ 検証④ 検証⑤ 検証⑦ 

mizuma
田中正明 世界連邦運動」より

       *       *

■ネットストーカーのIP
114.69.147.71 (ori)
W8.1 iPh/3G/3GS ASUS_Z017DA
337-0042 
(旭)