※結局、自称田中正明先生の直系氏(以後、直系氏とします)は、「法衣の袖からぶどう酒と(切子)グラスを出して、13階段下で別れの杯をしみじみかわした。田中セイメイ先生から何度も聞いた有名な話」に関する証拠を出せず、最後の儀式の場所を観音堂に変えたり、後発の小説(フィクション)内の記述を証拠として提示したりと、いろいろ盛り込んで論点ずらしに終始しているだけだったようです。
(最下部参照) *

デマゴギストの妄言を排す
【桜便り】デマゴギストの妄言を排す[桜R2/5/20]

 水島氏や松尾氏がこれから直系氏に対して反論と解説を行うものと思われますが、上記番組内で既出の部分に関連する記述を抜き出して整理しておきたいと思います。

●米国国立公文書館収蔵のGHQ報告文書の中に、「教戒師は処刑台の下まで付き添い、見届けるものとする」旨の記述がありますが、これは、下記の要望に基づいたものでした。

「A級処刑の際は、東條英機が死刑を宣告されたとき、プリズン所長に『日本人の教戒師花山信勝師に最期を見届けてもらうことを望む』と申し込んで、許可されたのだった。
 目撃したといっても、居並ぶ幹部、各国代表と同席したのではなく、死刑棟の扉の隅からうかがっただけなのだが、花山師はまさしくその瞬間を見た」(「教戒師花山信勝と死刑戦犯の記録」)

扉の陰から
映画「南京の真実 七人の死刑囚」

「このとき、処刑場左手にある将校クラブ方向から、場違いな嬌声が聞こえてきたのを、教戒師はかすかに記憶している。

 のちに彼は、それが、踏み板がひらくときのかなりの響きをまぎらわせるための演出だったと知る。プリズン幹部たちは、さわぎたてることで、囚棟に死刑をさとらせない措置をとったのである。

 この嬌声は、レッド地区の監房の中にも、聴いていた人がいる。ジャズだったという人もいる。囚棟のレッド地区からクラブまでは距離があるが、音は距離を黙殺していた」(同上)

E.Mクラブ=EMLISHD MEN`S CLUB(クリックで拡大)
巣鴨プリズン
左端のE.Mクラブ(下士官兵クラブ)から「音楽と嬌声が聞こえていた」

(おまけ)
●「巣鴨プリズンの本庁舎2階には礼拝室が設けられており、チャペルと呼ばれていた。チャーチ、教会、教会室と呼ぶ者もいた。

 この礼拝堂がユニークなのは、キリスト教のカソリックとプロテスタント、そして仏教と、三種類の宗教の礼拝ができるところ。
 一番奥には仏壇がしつらえられているのだが、その前に海老茶色の幕を下ろして十字架のついた祭壇を置けばカソリックの礼拝堂に早変わり、偶像崇拝を廃したプロテスタントはその祭壇を取り外せばOKというわけ。

 長椅子には、プロテスタント用に背の部分に本を入れるところがあり、またカソリックの礼拝で跪くときに必要な横木もついているという念の入れよう。
 さらに、壁には仏教とキリスト教に関する絵が飾られており、東洋と西洋が入り混じったような独特な雰囲気を醸し出していた」(「巣鴨プリズン 未公開フィルム」)

※本庁舎屋上には天照大御神を祀った神社も存在した。


「南京の真実」
検証① 検証② 検証③ 検証④ 検証⑥ 検証⑦ 

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◆映画「南京の真実」及び水島総氏、映画製作スタッフを誹謗中傷する発言
(以下、動画から書き起こし)

「偉そうにねえ、なんかデマちゅってましたね」
『デマだからこれは訂正してもらわなきゃいけない』(声色を変え水島氏の物真似)

「冗談じゃないって、ド素人が!」
「今までね、素人の人たちを煽ってね、そうやってね、ビジネスもう十分、太れるだけもうビジネスやってきたんだから、もう解散したほうがいいんじゃないかと思いますよ。なんの結果の一つも出してないんですから」

「映画? 『南京の真実』をなんかつくったじゃないですか。で、私は松井大将の秘書だった田中正明先生、その直系の人間ですよ? 」

「その松井閣下に対してですよ、13段の階段を上がって、ね、絞首刑になるとき、最期の別れ、田中正明先生からも何度も聞いているしね、一番しんみりくるシーン、赤ぶどう酒ですよ袖に入れて、あとね、グラスを入れて、(咳払い)、片袖にね、それで、階段、13段階段(を)上がる前、手前のところで、その、注いでね、最期の別れの盃をね、有名な話」

※「 中正明氏は、7人のA級戦犯が処刑された時は長野県にいた」(松尾氏談)

*松尾一郎氏は故・田中正明氏が公に認めた「弟子」
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1998年忘年会(敬称略)

「そのね、(ゲヘッ)、南京の映画?、第1本目かな、作って、あれ白い紙コップなんですよ、みなさん、許せます?
そんなの監督とかなんとか、二流かなんか、映画つくってたという話は聞いたことありますけど、代表作何なんですか?ちゅったって何かあるんですかね、映画。もう、許せないですよ」

「あ~のね、いちばんのね、しんみりくるシーン?、ね、処刑される人たちにね、全部出したのは紙コップでぶどう酒を飲ました?
だからもう、私はね、いいます。もう監督ということは二度とゆって(言って)もらいたくないし、まあ、中学生がね、(ガッ)、学級映画でつくったって紙コップは使わないですよ、ね、そういう大事なシーン、日本人であればね、日本人であれば、ネェ、中学生でもねぇ、大事なシーンに紙コップなんか絶対使わないですよ」

「監督ちゅっても、聞いたことないですもん、名前。何かテレビドラマ(を)つくってたのは、つくったのかわかんないですけど、ネ。あ~の松井閣下、A級戦犯に紙コップでぶどう酒注いだシーンを撮った? それは映画監督でも何でもない、もう二度と映画監督というふうな、自称するのはいいですけどね、えー、第三者にそれを監督なんていうふうな認識をさせるような、そういう発言はなさらないほうがいいと」

「当時白い紙コップありましたか?東京裁判のときに、……」

水間政憲
田中正明 世界連邦運動」より

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