船戸雄大 結愛ちゃん暴行死事件

 ◇船戸雄大被告(34)に懲役18年求刑

 東京都目黒区(東が丘一丁目14-3サンハイム好2F)で2018年、船戸結愛ちゃん=当時(5)=が虐待死した事件で、傷害と保護責任者遺棄致死などの罪に問われた父親の雄大被告(34)の裁判員裁判の論告求刑公判が7日、東京地裁(守下実裁判長)であった。

 検察側は「自己に従わない怒りで虐待し、この上なく悪質」と指弾し、懲役18年を求刑した。弁護側は最終弁論で懲役9年が相当と訴え結審した。判決は15日。

船戸結愛
外出も許されず、満足な食事・睡眠・自由・医療処置を与えらないまま死亡

 検察側は論告で、結愛ちゃんは母親優里被告(27)=懲役8年、控訴=の連れ子で、雄大被告は16年11月ごろに暴力を振るい始め、一家が香川県から目黒区に転居した18年1月23日ごろから苛烈な食事制限をしたと主張。
「39日間で体重の約25%を失った」とした。

 さらに、優里被告を「説教で共犯者に引き入れ、夫婦で児童相談所の接触も拒否した」と指摘。
「2月24~26日には風呂場で10回以上殴打した。27日に『12キロ台はやばい』などと命の危険を感じたのに、病院に連れて行かなかった」とし、「一体子どもを何と思っているのか。結愛ちゃんは逃げることもできず、絶望しかなかった」と厳しく非難した。

 弁護側は2月下旬の暴行を認めつつ、「親であろうという気持ちが根底にあった」と主張。
「被告が命の危険を認識したのは(死亡前日の)3月1日だった」と訴えた。
雄大被告は最終意見陳述で、すすり泣きながら「本当に、本当に申し訳ありませんでした」と声を絞り出し、何度も頭を下げた。

 起訴状によると、雄大被告は18年1月下旬から結愛ちゃんを栄養失調に陥らせ、2月下旬には風呂場で顔を殴打。優里被告と共謀して医療措置を受けさせず、3月2日、肺炎を発症させるなどして死亡させたとされる。
時事ドットコム 10/7(月)

 
■船戸雄大容疑者(無職)
・1985年生まれ34歳。香川県善通寺市生まれ
・2016年4月、船戸優里(ゆり)被告と結婚。

■虐待の経緯
・2016年9月、長男誕生。
・長男誕生後、3歳の結愛ちゃんに対し“しつけ”と称する虐待が始まる。

・2016年12月25日、クリスマスの夜に長時間屋外に放置⇒警官が発見⇒児相が保護
・雄大被告、県警によって「傷害容疑」で書類送検(不起訴)
・2017年3月、近隣の通報多数。児相に再び保護される。
 ⇒県警による二度目の書類送検(不起訴)
・2017年7月、結愛ちゃんは「おうちよりここ(保護施設)がいい」と相談員に答えたが、自宅に戻される。

・2918年1月、一家は香川県善通寺市から東京都目黒区東が丘一丁目14-3サンハイム好2階に転居
 ⇒児相が引継ぎのため訪問するも、雄大容疑者が面会を拒否、結愛ちゃんを確認できず。
・転居以来約40日間、結愛ちゃんは外出もさせてもらえず、ひとりだけ別の部屋で寝起き。
⇒自分で目覚ましをセット、朝4時に起きて体重を量り、書き取りなどをさせられる。

・結愛ちゃんは、朝食はスープ1杯、昼食は米を茶わん3分の1、夜は茶わん半分程度しか与えられず、冷蔵庫の前には、結愛ちゃんが開けられないように家具などが置かれていた。

・2018年3月2日――瀕死の状態になってようやく救急車が呼ばれたが、搬送先の病院で死亡確認。
「顔が真っ黒、生きてるように見えなかった」(近隣の住民)、「異常に痩せて骨と皮の状態」救急隊員、「顔に酷い打撲痕、足裏にタバコの火傷跡が40個以上、全身に171か所のアザ、死亡時の体重は12.2kg」

結愛ちゃんに厳しい生活ルールを強要
1年半にわたり虐待を受け栄養失調と肺炎で死亡した結愛ちゃん(享年5)

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